発達障害 個性生かす道を
多様性を受け入れることは重要だ。それはわかっているけれど、いざ実践するのは難しいですよね。新聞を読んでいて、とても興味深い記事があったのでシェアしたい。
最近、発達障害という言葉が日本でも広く知られるようになりました。
きっかけの一つは、教育現場におけるいじめや不登校の増加です。規則を守ったり、人と協調したりするのが苦手な児童の中に、発達障害が多いことがわかってきました。
発達障害を抱えているのは子供だけに限りません。1990年以降、企業の管理体制が厳しくなったことで、発達障害を持つ社員が、職場で不適応を起こすケースが目立つようになっています。
こうした発達障害の当事者は、もともと学校や職場に存在していました。これまでは水面下に隠れていた問題が、企業や社会の許容度が下がってきたために浮かび上がった、と言えます。
自閉症スペクトラム障害(ASD)や注意欠陥多動性障害(ADHD)といった発達障害の症例に関して、国民の認知度が高まったことは評価してよいでしょう。
「だらしないだけだ」と批判されるケースは減り、政府も仕事に苦労している発達障害の人たちの就労移行支援に乗り出すようになりました。
ただ一方で、対人関係が苦手というだけで「あの人は発達障害」とレッテル貼りをするような誤解を広めているメディアも一部に見られます。
ASDやADHDの人は決して珍しい存在ではなく、大半は社会人として日常生活を送っています。名称こそ障害ですが、むしろ「特性」や「個性」である側面のほうが強いのです。
過去の偉人や著名人の中には、発達障害の特徴をもつ人も多い。例えば、アインシュタインやドゴールにはASD傾向が、モーツァルトやチャーチルにはADHDの特性が見られます。凡人ができないことをやってのけ、社会や文化をがらりと変える力が、発達障害にはあるのです。
私たちは、発達障害とは心の多様性の一部であると認める必要があると思います。
しかしながら、現代の社会はそうしたものを抑えつけ、認めない方向に向かっているように感じます。特に日本は多様性に乏しく、同調圧力も強い。今なお大人も、子供も、所属集団における行動パターンをまねしなければ、仲間に入れてもらえません。
そんな日本の学校や職場を、発達障害の人たちを受け入れるために変えるのは簡単ではありません。
特別な才能を伸ばす別の教育システムをつくったり、プログラミング能力や発想力に優れた発達障害の人たちを集めて新たな会社を設立したりする方が成功に近いのかもしれません。社会全体を変えるのでなく、発達障害の人が活躍できる新たなシステムをつくれば、日本社会の多様性は確実に高まるでしょう。
看護師国家試験まであと39日
イナNsの試験に役立つ呟き
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